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書籍「正しく生きるとはどういうことか(池田清彦)」から学んだこと

池田清彦さん著書「正しく生きるとはどういうことか」。

池田さんは、ホンマでっかTVに出演されている先生。
自分と池田さんとの出会い(実際には会ってないけど)は、この本。
自分が初めて読んだのは10年以上前だったかな。
若かりし自分にとっては、衝撃的に面白い哲学書だったことを覚えている。
今読み返してみても、読み応えのある本です。ということで、引用してご紹介。というか、メモ。

本書は二部構成。

・善く生きるとはどういうことか 

・正しく生きるとはどういうことか

善く生きることと、正しく生きること(すなわち正義)は異なる。 善く生きることは個々人の問題。正しく生きることは社会の共同体としての生き方の問題。

 

善く生きる

「善く生きるとは、あなたの欲望を最も上手に解放することだ」 

上手に欲望を開放するためには、まず、自分の頭で自分固有の規範を設ける必要がある。その規範の中で自分を律しながら生きていくと、欠如感が生じる。その欠如感を上手に埋めてあげよう(欲望を開放しよう)というわけである。 例えば、普段の食事は質素なものにするが、月に一度だけ贅沢をするようなこと。
では、お金をたくさん持っているからといって、毎日贅沢しているとどうなるか。幸福感を得るために、より贅沢をする必要が生じる。この欲望は留まることはなく膨れ上がっていき、際限がなくなってしまう。善く生き続けることは困難そうに思われる。

また、「自分の頭で考えた自分固有の規範」というところがポイントである。 資本主義下の大衆民主主義の社会(今の日本)においては、細かい差異化過程(他人に差をつけたい、人に追いつきたい)は避けられない。差異を作り、さらにこの差異を埋めようとする時、人々の欲望は均一化され、ある方向に向かって流れていくことになる(欲望のキャナライゼーション)。自らの規範を立てて、その上で新しさを感じることができれば、このような画一的な差異化過程から自由になることができる。他の人とおんなじであることを望むのならば、それをあなたの規範としておけばよい。でもそれはあんまり自由に生きているとは言えないと思われる。

 

正しく生きる(正義)

正しく生きるための公準はつぎのようなものだとしている。

「人は他人の恣意性の権利を侵害しない限り、何をしても自由である。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる」

人の迷惑にならなければ、何をやってもいいはずだよね。国家や他人が自由を奪うことはできないよねというようなこと。

 

この公準のもとでの、社会の制度(法律等)のあり方について。

人は必要最小限のルールを守れば充分であり、国家が教育により何らかの価値観を押し付ける必要は全くないのだ。制度は人々の平等を保障するとともに、人々の選択を最大限許容するものでなければならない。倫理や道徳の押し付けは不必要であるばかりでなく、正義の観点からは悪である。

 

そして、正しく生きる(正義)ということについて次のように説明している。

正義は個人がどう善く生きるかといった問題とは関係がない。あなたが隣人に優しくしようが、ボランティアをしようが、援助交際をしようが、何をしようが、それは正義とは何の関係もない。正義とは、個人の自由を最大限確保した上で、人間はすべて平等というフィクションに近づくには、どのような制度を構築すべきかという、すぐれてプラグマチックな問題なのである。

では、正しく生きるために必要な制度(必要最小限の法律)について、どのようなものがあればよいか。結果不平等と原則不平等を最小にするための考え方。そして国民の恣意性の権利を奪っている国家パターナリズムへの批判。これらについて詳細は取り上げないが、著者のアイデアが書かれていて、なるほどなぁと思える部分がたくさんあった。

 

リンク

善く生き、正しく生きるための努力を続けよう。

正しく生きるとはどういうことか (新潮文庫)

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